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 センター試験 漢文 2016年 現代語訳

「抱経堂文集」 盧文弨

[ 現代語訳 ]

荷宇は生まれて十ヶ月でその母を亡くした。

ものごころがつくと、たちまち、いつも母のことを思い続けてやむことがなく、

時が経つにつれて思いはつのっていった。

自分が一日も母に奉仕できないのが哀しかった。

母の言葉や行動を知りえないのも同様に哀しかった。

荷宇は香河の人である。

以前、南方の地を訪ねて帰るときに、銭唐に到着した。

母が目の前にやってくるのを夢に見て、夢の中ですぐに自分の母であるのがわかった。

すっかり目が覚めると、そこで大声をあげて泣いて言った、

「これは本当に私の母である。

お母様、なぜ今日になって私に会ってくださったのですか。

お母様、また、なぜ早々と私から離れて行ってしまわれたのですか。

お母様、これから先も私はお会いすることができるのでしょうか」と。

そこで夢に見たとおりを絵に描いた。

その絵を私は見ていない。

目の前にある絵には、私の見たところ、

つまりはその母を夢で見ている状況だけが描かれている。

私はそれでこれに語って言った、

「そもそも人の純粋な真心が感じるものに、あの世とこの世で区別がないのは、

道理に基づき信じうる偽りのないことである。

まして子の親との関係では、その息づかいさえもお互いに通じるのであり、

それを遮るものなど有るはずがないのは言うまでもない」と。


[ 書き下し文 ]

荷宇は生まれて十月にして其の母を喪ふ。

知有るに及び、即ち時時母を念ひて置かず、弥久しくして弥篤し。

其の身の一日として母に事ふる能はざるを哀しむなり。

母の言語動作も亦た未だ識る能はざるを哀しむなり。

荷宇は香河の人なり。嘗て南に遊びて反るに、銭唐に至る。

母の来前するを夢み、夢中に即ち其の母たるを知るなり。

既に覚め、乃ち噭然として以て哭して曰はく、「此れ真に吾が母なり。

母よ、胡為れぞ我をして今日に至りて乃ち見るを得しむるや。

母よ、又た何ぞ我を去ることの速やかなるや。

母よ、其れ我をして此を継ぎて見るを得しむべけんや。」と。

是に於いて夢に見る所に即して之が図を為る。

此の図は吾之を見ざるなり。

今の図は吾之を見るに、則ち其の母を夢みるの境なるのみ。

余因りて之に語りて曰はく、

「夫れ人の精誠の感ずる所に、幽明死生の隔て無きは、此れ理の信ずべく誣ひざる者なり。

況んや子の親に於ける、其の喘息呼吸も相ひ通じ、本より之を間つる者有る無きをや。」と。


[ 原文 ]

荷宇生十月而喪其母。

及有知、即時時念母不置、弥久弥篤。

哀其身不能一日事乎母也。

哀母之言語動作亦未能識也。

荷宇香河人。嘗南遊而反、至乎銭唐。

夢母来前、夢中即知其為母也。

既覚、乃噭然以哭曰、「此真吾母也。

母、胡為乎使我至今日乃得見也。

母、又何去我之速也。

母、其可使我継此而得見也。」

於是即夢所見為之図。

此図吾不之見也。

今之図吾見之、則其夢母之境而已。

余因語之曰、

「夫人精誠所感、無幽明死生之隔、此理之可信不誣者。

況子之於親、其喘息呼吸相通、本無有間之者乎。」

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