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 管鮑之交(管鮑の交わり) 書き下し文・現代語訳

管鮑之交 (十八史略)

[ 原文 ]

斉姜姓。太公望呂尚之所封也。

後世至桓公覇諸侯。五覇桓公為始。名小白。

兄襄公無道。群弟恐禍及。

子糾奔魯。管仲傅之。

小白奔莒。鮑叔傅之。

襄公為弟無知所弑、無知亦為人所殺。

斉人召小白於莒。而魯亦発兵送糾。

管仲嘗遮莒道、射小白中帯鉤。

小白先至斉而立。

鮑叔牙薦管仲為政。公置怨而用之。

管仲字夷吾。

嘗与鮑叔賈。分利多自与。鮑叔不以為貪。知仲貧也。

嘗謀事窮困。鮑叔不以為愚。知時有利不利也。

嘗三戦三走。鮑叔不以為怯。知仲有老母也。

仲曰、生我者父母、知我者鮑子也。

桓公九合諸侯、一匡天下、皆仲之謀。一則仲父、二則仲父。


[ 書き下し文 ]

斉は姜姓なり。太公望呂尚の封ぜられし所なり。
せいきゃうせいなり。たいこうばうりょしょうほうぜられしところなり

後世桓公に至り、諸侯に覇たり。
こうせいくゎんこういた、しょこうたり

五覇は桓公を始めと為す。名は小白。
ごはくゎんこうはじめと。なせうはく。

兄の襄公は無道なり。群弟禍の及ばんことを恐る。
あにじゃうこうむだうなり。ぐんていわざはいおよばんことをおそ

子糾魯に奔る。管仲之に傅たり。
しきうろはし。くゎんちゅうこれたり

小白莒に奔る。鮑叔之に傅たり。
せうはくきょはし。はうしゅくこれたり

襄公弟無知の弑する所と為り、無知も亦人の殺す所と為る。
じゃうこうおとうとむちしいするところ、むちまたひところところ

斉人小白を莒より召く。而して魯も亦兵を発して糾を送る。
せいひとせうはくきょよりまね。しかうしてまたへいはっしてきうおく

管仲嘗て莒の道を遮り、小白を射て帯鉤に中つ。
くゎんちゅうかっきょみちさへぎ、せうはくたいこう

小白先づ斉に至りて立つ。鮑叔牙管仲を薦めて
せうはくませいいたりて。はうしゅくがくゎんちゅうすすめて

政を為さしむ。公怨みを置きて之を用ゐる。
まつりごとさしむ。こううらみをきてこれもちゐる

管仲字は夷吾。 嘗て鮑叔と賈す。利を分かつに多く自ら与ふ。
くゎんちゅうあざないご。かっはうしゅく。りかつにおほみづかあた

鮑叔以て貪と為さず。仲の貧なるを知ればなり。
はうしゅくもったんさず。ちゅうひんなるをればなり

嘗て事を謀りて窮困す。鮑叔以て愚と為さず。
かっことはかりてきうこん。はうしゅくもっさず

時に利と不利と有るを知ればなり。嘗て三たび戦ひ三たび走る。
ときふりるをればなり。かったびたたかたびはし

鮑叔以て怯と為さず。仲に老母有るを知ればなり。
はうしゅくもっけふさず。ちゅうらうぼあるをればなり

仲曰はく、「我を生む者は父母、我を知る者は鮑子なり」と。
ちゅういはく、「われものふぼ、われものはうしなり

桓公諸侯を九合し、天下を一匡せるは、管仲の
くゎんこうしょこうきうがふ、てんかいっきゃうせるは、くゎんちゅう

謀なり。一にも則ち仲父、二にも則ち仲父といふ。
はかりごとなり。いつにもすなはちゅうほ、ににもすなはちゅうほといふ


[ 現代語訳 ]

斉は姜の姓である。太公望呂尚が封ぜられた国である。

のちの世、桓公の代になり、諸侯を支配した。春秋五覇は桓公が最初の人である。
名を小白と言った。

兄の襄公は人の道にはずれていた。多くの弟たちは災いが及ぶことを恐れた。

子糾は魯に逃げた。管仲が守り役だった。

小白は莒に逃げた。鮑叔が守り役だった。

襄公は弟の無知に殺され、無知もまた人に殺された。

斉の人々は小白を莒から呼び戻した。そして魯もまた兵を出して子糾を送った。

管仲はかって莒からの道で待ちぶせて、小白に矢を射て帯留めの金具に命中させた。

小白が先に斉に到着して君主となった。

鮑叔牙は管仲を推薦して政治を行わせた。桓公は恨みを捨ててこれを用いた。

管仲は字を夷吾と言った。

かって鮑叔と商売をした。利益を分配する時に自分が多く取った。鮑叔は強欲だとは
思わなかった。管仲が貧乏だと知っていたからである。

かって事を企て失敗して困ったことがあった。鮑叔は愚かだとは思わなかった。
有利な時と不利な時があることを知っていたからである。

かって三回戦い三回逃亡した。鮑叔は臆病だとは思わなかった。管仲に老いた母が
いることを知っていたからである。

管仲は言った、「私を生んだのは父母であり、私を理解しているのは鮑叔である」と。

桓公が諸侯を集め合わせ、天下を統一したのは、管仲の策によるものである。
一にも仲父、二にも仲父と言った。




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